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その他

 ☆「大日如来坐像」・「不動明王坐像」・「降三世明王坐像」
が国宝に指定されたことを祝して、横断幕を作成し市役所市民ホールに設置しています。市役所へ来られた際にはご覧になってください。1週間ほど市役所で見ていただいた後には、河内長野駅前のノバティ北館から南館へ渡る連絡通路の欄干に設置する予定です。

 天野山金剛寺は、奈良時代(天平年間)に聖武天皇の勅願により僧 行基により開創され、平安時代末期に阿観が再興拡充したと伝えられています。
 平安末期の栄万元年(1165)、阿観僧正が寺の再興を朝廷に奏上し、後白河法皇と皇女八条院が承安元年(1171)に、金堂・宝塔・御影堂・鐘楼・食堂・中門などを建立しました。

 天野山金剛寺は、敵対関係にあった北朝と南朝が4年もの間、同舟していたという希有な歴史があります。
☆南朝後在所:摩尼院
 足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝の後村上天皇は、1354年 天野山金剛寺院子摩尼院を御在所とされ南朝の行宮となった。

☆北朝後在所:観蔵院
 足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝軍の京都奪回の時に、北朝の三上皇(光厳こうごん・光明こうみょう・崇光すこう)が、足利尊氏により天野山金剛寺に幽閉された。


 天野山金剛寺では、平成21年より始まった金堂の修復が完成の日を迎えようとしています。楼門を入ると、目に鮮やかな朱色に染まった金堂の姿を見ることが出来ます。
来年3月27日に開催されます『落慶法要』には、現在京都と奈良の博物館で保管展示されいる「大日如来坐像」「不動明王坐像」「降三世明王坐像」がお戻りになられます。
(詳細はお寺へお問合せ下さい。)

・現在の保管展示場所
★大日如来坐像・不動明王坐像:京都国立博物館
★降三世明王坐像:奈良国立博物館


◎天野山金剛寺
河内長野市天野996
TEL:0721-52-2046

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烏帽子形八幡神社~烏帽子形城跡~

 「烏帽子形八幡神社」は、烏帽子形山の東麓に位置し、発見された棟札によると、文明十二年(1480年)に石川八郎左衛門尉が本殿を建立したことがわかっています。また、江戸時代にこの辺りを治めていた旗本の甲斐庄正保(かいのしょうまさやす)が元和三年(1617年)に四天王寺の普請奉行を勤め、その時の余材を使用して元和八年(1622年)に社殿の修繕を行ったと記録されています。
 本殿は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。正面中央に擬宝珠(ぎぼし)をつけた五段の階段が付けられており、昭和二十五年に国の重要文化財に指定されました。
(間:柱と柱に挟まれた空間の数。擬宝珠:丸くて先のとがった葱の頭のような飾り。普請奉行:土木工事の管理、監督を行う役職)

 烏帽子形八幡神社は、江戸時代の観光ガイドブック『河内名所図会』<享和元年(1801年)出版>にも、烏帽子の形に似ている烏帽子山と共に高野街道を往来する人々が訪れる名所として描かれています。(河内長野市教育委員会発行 シリーズ河内長野の遺跡6『烏帽子形城跡』より)

 標高182mの烏帽子形山の頂上部に烏帽子形城跡があります。金剛葛城山地からのびる丘陵の先端にあり、北に広がる平地を見渡し、東側を天見川、西側を石川が流れ、烏帽子形山の北側で天見川と石川が合流する為、三方を川に囲まれた天然の要害の地にあると言えます。また、城の東側を高野街道、南側を和泉路が通り交通の要所にもありとても重要な場所に城が築かれていたことがわかります。*平成24年1月に烏帽子形城跡が国指定史跡になりました。
(現在は烏帽子形山公園内にあり、広場や遊歩道になっています。)
 発掘調査により出土した品は、河内長野市立ふるさと歴史学習館に展示保管されています。

◎烏帽子形八幡神社
河内長野市喜多町305

◎河内長野市立ふるさと歴史学習館
大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560

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 御所の辻から高野街道を約600m南に行くと『松明屋』と横書きした額と、「粽大師松明堂」と縦書きの表札を掲げたお堂があります。かつて、お堂の脇には樹齢何百年とも知れぬ大木がありましたが台風で倒れてしまい、現在はその切り株がお堂の縁に置かれています。その大木のあった場所には「おたいまつの木  北い組 明治二八年5月建立」と刻まれた石碑が立てられています。
 弘法大師が京都・東寺から高野山に百箇日参りをし、最終日の百日目を迎えたとき、この地で夜明けを迎えられました。明るくなったので松明を大地に突き刺すと、松明から根が伸びてみるみるうちに大木になったという言い伝えられています。
 この地で粽でもたなしてくれたお礼に「私は空海という者である。この粽に永代不滅の加持祈祷を行う。身を清めて粽を作ればそのまま仏の加護となる。末の世にいたるまで教えに背くことのないように」と言われて、「おしえおく、粽は千とせの後までも あしきやまいは たちさりぬべし」と歌を詠んだと言われています。
 弘法大師が教えた粽は、食べれば病が治るといわれ、高野山への参詣者が数多く求めたと言われています。(シリーズ河内長野の遺跡9「高野街道」より参照)
★下記の散策マップは、シリーズ河内長野の遺跡9「高野街道」に付録として付いています。

 シリーズ河内長野の遺跡は1~9まで発刊されてます。河内長野の歴史や文化がとてもわかり易く解説されています。市役所1階情報センターや7階ふるさと文化財課等で販売されています。(1冊500円)
・シリーズ河内長野の遺跡1 三日市北遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡2 大師山古墳・三日市遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡3 高向遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡4 観心寺遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡5 金剛寺遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡6 烏帽子形城跡
・シリーズ河内長野の遺跡7 西代藩陣屋跡
・シリーズ河内長野の遺跡8 三日市遺跡・宮山遺跡・三日市北遺跡
・シリーズ河内長野の遺跡9 高野街道

<お問合せ先>
河内長野市役所 ふるさと文化財課
0721-53-1111

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